Fashion Glossary

この記事は数冊の書物を参考に書いた「ファッション用語集」です。

主に「18世紀フランスの女性のドレスについて」及び「19世紀フランスの女性のドレスについて」の本文中に記述した、服飾に関わる用語を纏めています。

本文では紹介していないものの、18世紀~19世紀において広く着装された服飾や装身具に関する用語も記述致しましたので、何かの参考になれば幸いです。

なお掲載している画像は全てパブリックドメインのものです。著作権の関係でご紹介できない画像に関してはご了承下さい。

 

(画像はクリックすると拡大できます。)

​​

※2021年3月、ホームページエディタの不調により、画像表示にバグが見られたため現在工事中です

ア行

 

アフタヌーン・ドレス“afternoon dress”=昼間の礼装のこと。午後からの社交や外出時でのドレスを指す。

 

アマゾーヌ“amazone”=ギリシア神話に登場する女戦士の民族アマゾンを由来とした言葉。主にテーラード仕立ての女性用乗馬服、また乗馬する女性を意味する。乗馬する際に「ポスティリオン・ハット」“postilion hat”と呼ばれるシルクハットをまねた帽子を被るのが特徴的。(図:a1

 

アワーグラス・シルエット“hourglass silhouette”=1890年代から流行したスタイルのこと。アワーグラス(砂時計)の名の通り、強調された袖や胸元、極度に締め付けたウエスト、そして床に向かって滑らかに広がったスカートが砂時計さながらのスタイルを築き上げている。サブリエ・ライン“sablier line”という名称もある。(サブリエはフランス語で「砂時計」のこと)(図:a2

 

アンガジャント“engageante”=ルイ15世の寵姫ポンパドゥール侯爵夫人の影響により1750年代頃から流行したラッフルのこと。当時のローブのパゴダ型の袖口には、ドレスと共布で出来たラッフルの下に2段~3段ほどのアンガジャントが飾られ、それらは財力の許す限り非常に高価なレースが使用された。安価なものとしては綿や麻に刺繍を施したものが見られる。(図:a3

 

アンサンブル“ensamble”=ドレスから外衣、装身具などの調和を取るために、布地や色、柄などを共通のもので揃えた一組の衣服を指す。

 

イヴニング・ドレス“evening dress”=日没後での夜会服のこと。晩餐会、観劇、舞踏会といった場での正式礼装を指す。イヴニング・ガウンとも呼ばれる。

 

インタリオ“intaglio”=凹状に飾り彫りが施された石などの事。⇔カメオ

 

インバシル・スリーブ“imbecile sleeve”=1829年~1835年の間に流行した袖の一種。「馬鹿げた袖」という意味を持ち、袖付けから手首まで大きく膨らみ、様々なカフスが袖口についた袖を指す。(図:a4

 

ウージェニー・ハット“Eugenie hat”=ナポレオン3世妃ウージェニー・ド・モンティッジョによって第二帝政期から流行した帽子のこと。ブリムが曲線を描いた、羽根付きの小さな帽子を指す。20世紀にも再び流行した。(図:a5

 

エポーレット“epaulet”=「小さい肩」を意味する言葉で、主に肩飾りを指す。

 

エンパイア・スタイル“Empire Style”=ナポレオンによる第一帝政時代(1804~1815)から1820年代中頃まで流行した服飾様式を指す。ヘラクラネウムやポンペイといった遺跡発見によって高まった考古学的興味に触発され、新古典主義が流行の中心となったこと、そしてフランス革命により古代ギリシアの民主制やローマ共和制が理想視されたことに由来して流行したスタイルである。女性達は薄手のモスリン地、筒型のシルエット、ハイウエストが特徴的なシュミーズ・ドレスを纏い、髪は古代ギリシア風に短く纏めて、カシミアのショールを羽織った。第一帝政以前のフランス執政政府時代(1799~1804)における古典様式に傾倒した女性達はコンシュラーと呼ばれ、それ以前の総裁政府時代(1795~1799)にて同じ意志を持った女性達はメルベイユーズと呼ばれた。

(図:a6~a7

 

オートクチュール“haute couture”=パリ・クチュール組合(通称サンディカ組合)に属した服飾店及び、その店が製作した高級な服を指す。“haute”はフランス語で「高級な」、“couture”は「仕立て」を意味する通り、ミシンを使わず全て手縫いによって製作するのが基本であり、卓越した技術力を要する。サンディカ組合は1868年シャルル=フレデリック・ウォルトによって設立された組織「ラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ」“La Chambre Syndicate de la Couture Parisienne”の略称であり、この組織に属していない限りオートクチュールとは呼べない。これまでのドレス製作は依頼主からの受注製作が常だったが、シャルル=フレデリック・ウォルトにより、シーズンごとに新しいコレクションを発表し顧客やバイヤーに披露、そして注文を受け付けるといった能動的な方式が生み出され、現在のオートクチュールのシステムが定着した。

 

オーバードレス“overdress”=外側に着る衣類全般を指す。

カ行

 

ガウン“gown”=様々な意味があるが、主に長くゆったりした上着や外衣を指す言葉。ラテン語で「ゆったりした衣服」を意味する“gunna”が語源とされ、公式な場においてのドレスを指す場合もある。→イヴニング・ガウン

 

カポート“capote”=朝顔形で幅広のブリムが付いたボンネットを指す。(図:b1

 

カメオ“cameo”=貝の縞目などを利用して、模様が凸状に掘り出す様に浮き彫りされたものを指す。⇔インタリオ

 

カラコ“caraco”=主に1780年代~90年代にかけて流行した前開きジャケットのこと。本来平民の日常着であったカラコは、1770年代に新しいお洒落着として登場し、腰丈までの長さで上半身は身体に沿い、ウエストから裾広がり、もしくはペプラムが突き出ているのが特徴である。1780年代にバッスル・スタイルが流行した際、カラコのペプラムがバッスル入りスカートのヒップラインを強調させる為、カラコとスカートの組み合わせは80年代後期から90年代初期にかけての主流のスタイルとなった。背中にプリーツがあるカラコも存在し、この形態のものに関しては「ペタンレール」“pet-en-l'air”と呼ばれる。このペタンレールはおそらく、裾が傷んだローブ・ア・ラ・フランセーズを再利用したものと考えられており、まさに機能性にも優れたジャケットだった。同じようなジャケットとして「カザカン」“casaquin”と呼ばれるものがある。(図:b2

 

ガリバルディー・シャツ“Garibaldi shirt”=第二帝政期に流行した女性用の赤いシャツ・ブラウスのこと。イタリア王国成立に貢献したジュゼッペ・ガリバルディー将軍(1807~1882)の赤いシャツに由来してこの名称が付いた。ズアーブ・ジャケットと並び、当時流行した軍服風の衣服の一つである。(図:b3

 

クイラス・ボディス“cuirass bodice”=ヒップに届くほど長いボディスのこと。1870年代のバッスルスタイルの時代に新しく現れたボディスとして知られる。

 

クラウン“crown”=帽子において頭部を覆う山の部分のこと。

 

クリノリン“crinoline”=スカートをドーム型、もしくは円錐型に膨らませる為に用いられたアンダーウェアのこと。1850年代に登場し、第二帝政期にかけて広く使われた。クリノリンという名称は本来、1840年代に使われた馬毛“crin”と亜麻“lin”で作られたアンダースカートを指すが、50年代からのクリノリンは基本、籐や鯨髭などを輪状に繋いで作られたものを指す。後にアメリカで時計のゼンマイ用の鋼鉄を使ったクリノリンが考案され、一般に広く普及した。クリノリーヌとも呼ばれる。

(図:b4

 

クリノレット“crinolette”=1870年代初期頃に使われたアンダーウェアのこと。クリノリンとバッスルの中間にあたり、半円状もしくは円状の骨組みを用いることによって、ヒップラインを強調しつつ全体的に膨らみを出す。(図:b5

 

ケープカラー“cape collar”=肩を包むようなケープ状の大きな襟のこと。

 

ゴアー“gore”=「まち」のこと。ゴアード・スカートとは数枚のまちを接ぎ合わせたスカートを指す。

 

コルセット“corset”=時代によって様々な形があるが、基本的には胸から腰にかけて体型を整える補正下着を指す。布地に鯨髭などで作られたボーン(骨)を入れ、鳩目穴に通した紐を引き締め着用する。フランス語では「コルセ」と発音する。19世紀より前は「ステイズ」“stays”と呼ばれた。(図:b6

 

コンシュラー“Consulat”=フランス執政政府時代(1799~1804)の意味、もしくはこの時代に古代ギリシアに傾倒した女性達・男性達の事。英語ではコンスリット“consulate”と呼ばれる。シンプルなシュミーズ・ドレスを纏い、髪を短くしたコンシュラーのスタイルは後のエンパイア・スタイルに受け継がれた。

 

コンビネーション“combination”=シュミーズとドロワーズが一体化した下着のこと。下着に限らず上下がつながった衣類に対して使われる言葉でもある。1870年代後期~1880年代初期の細身の筒形ドレスの流行によって、ペティコートやシュミーズを纏う余地が無くなったために使用されるようになった。

 

コンペール“comperes”=ボタンやホックなどで前を留めるストマッカーのこと。ロビングスの内側にある持ち出し布に縫い留め、またはコンペール自体がローブに縫い付けられており、従来のストマッカーに比べ実用性に適した胸当てだった。(図:b7

サ行

 

シャルル=フレデリック・ウォルト“Charles-Frederic Worth”=イギリス出身のファッションデザイナー(1825~1895)、英語では「チャールズ=フレデリック・ワース」と発音する。リンカンシャーにて下級弁護士の息子として生まれ、1845年頃にパリへ旅立ち、高級服飾店「ガジュラン」で働いた後、1857年ド・ラ・ペ通り7番地にブランド「ウォルト」を立ち上げ独立する。これまでのドレス製作に支払われてきた材料費と工賃の上にデザイン料を加えたデザイナーとして知られ、オートクチュールの基礎を作り上げた。パウリーネ・フォン・メッテルニヒの紹介によりナポレオン3世妃ウージェニーがウォルトの顧客となると、皇妃の支持を得て一躍有名デザイナーの地位を得る。ウォルトが作るドレスは装飾を重視せず、極上のリヨン製絹織物を贅沢に使った質の良い作品として、数多のデザイナーによる作品の中で非常に際立っていた。パリ・モードに敏感だった詩人ステファヌ・マラルメはウォルトを褒め讃え「大ウォルトは、パリ、ウィーン、ロンドン、サンクトペテルブルクのすばらしい宴から日々の生活までの、(モードの)指令官だった」(深井晃子著「ファッションから名画を読む」より抜粋)と賞賛している。ウォルトの没後は二人の息子(ジャン・フィリップとガストン)によって後継され、第一次世界大戦後は香水も製作されたが、1954年にブランド「ウォルト」は閉鎖した。

(図:c1~c2

 

シュミーズ・ドレス“chemise dress”=18世紀より流行した、薄手のモスリン地、筒型のシルエット、ハイウエストを特徴としたドレスのこと。当時高まりつつあった古典様式や英国趣味などへの着眼が流行のきっかけになった。1770年代以降のフランスでは田園趣味を愛する英国人にならい「自然」「単純」などを特徴とするアングロマニー(英国趣味)が流行の的であった。1738年から発掘が成されてきた古代ローマ遺跡ヘラクラネウムによる古典様式への興味や、啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーの「自然に帰れ」といった思想に基づき、宮廷の礼儀作法を嫌い田園での牧歌的な生活を夢見たルイ16世妃マリー・アントワネットは、これらの英国趣味や古典様式を自身の暮らしに取り入れた。やがてそれはプチ・トリアノン宮の庭園内に存在する小集落「アモー」を生み出し、田園趣味に傾倒した王妃の為にローズ・ベルタンが製作したドレス「シュミーズ・ア・ラ・レーヌ」“chemise à la reine”は1775年頃から女性達の間で瞬く間に流行した。「王妃風シュミーズ」を意味するこのドレスは繊細なモスリン地で作られ、ギャザーが入ったウエストに幅広のサッシュを締めたスタイルを特徴とする。このスタイルはフランス革命後での古代ギリシアの民主制・ローマ共和制を理想視した人々によって、ディレクトワールにおけるハイウエストのドレスに変化し、後のコンシュラーやエンパイア・スタイルに継承された。(図:c3~c4

 

シュミゼット“chemisette”=女性用の袖なし、もしくは半袖のブラウス、または胸飾り布のこと。ドレスの胸元からちらりと覗かせる為に美しい刺繍が施されたものが多い。同じ様なアンダーブラウスとして「ギンプ」“guimpe”と呼ばれるものがある。

(図:c5

 

ズアーブ・ジャケット“Zouave jacket”=1848年のイタリア独立戦争にて活躍したフランス軍アルジェリア歩兵部隊であるズアーブ兵の軍服をヒントに作られたジャケット。前がA字型に開いたボレロ型の衿なしジャケットで、第二帝政期の女性達の間で流行した。(図:c6~c7

 

ストマッカー“stomacher”=16世紀~18世紀にかけて着用された逆三角形の胸当てのこと。フランス語では「ピエス・デストマ」“piece d'estomac”と呼ばれる。ローブの襟ぐりからウエストにかけて着装され、着装の度にピンなどでロビングスの裏に留められる。装飾性が強く、刺繍や宝石を施したものが多い。18世紀中期からは機能性が求められ、コンペールもしくはストマッカーを使用しないローブが多数見られた。(図:c8

 

スパングル“spangle”=金属などで作られた小さな飾りのこと。中央の穴に糸を通すことによって服地に縫い付ける。スパンコールという別名があるが、これはスパングルが訛った日本独自の名称である。

 

スプーン・ボンネット“spoon bonnet”=1860年代より流行したボンネットのこと。ボンネットの縁が上に突き出しており、バボレ(クラウンの下に垂れた布のこと)が特徴的である。(図:c9

 

スペンサー“spencer”=1790年代から1820年代まで流行したボレロ型の女性用上着。スペンサー伯爵(1758~1834)が初めて着用したことに由来する。本来紳士服であったこの上着は女性用として人気を博し、短い丈にテーラード仕立て、指が隠れる程の長袖が特徴である。(図:c10

タ行

 

ダイアデム“diadem”=主に金銀や宝石で装飾された王冠、またはヘア・バンド状の頭飾り。

 

ダスト・ラッフル“dust ruffle”=トレーンを引く際などに、裾が傷むのを防ぐために縫い付けられた、ペティコートの代わりとなったもの。その他の名称として「ストリート・スイーパー」“street sweeper”、フランス語では「バレイユーズ」

“balayeuse”と呼ばれる。

 

ティペット“tippet”=時代によって様々な意味があるが、17世紀以降は主に毛皮や毛織物で作られたケープ(肩掛け)を指す。パラティヌ、ボアにもティペットの名称が使われる場合がある。


トレーン“train”=引き裾のこと。

 

ドロワーズ“drawers”=ゆったりとしたズボン風の下着のこと。ドロワーズは本来「肌着」を指す言葉で、中世では男性用のズボンだったが、19世紀に女性用の下着として普及した。16世紀のイタリアではカトリーヌ・ド・メディシスによってドロワーズが紹介され、当時の女官が履いたという記述があるものの、ドロワーズが普及する19世紀までは、女性の脚は恥ずべき物としてタブー視されており、ドロワーズは脚の存在を認めるとして下品と見なされていた。19世紀以前は基本的にシュミーズ、ペティコート、フープなどのアンダーウェアが、時代によってドレスの下に着られたものの、これらと一緒にドロワーズが履かれることは無かった。しかし19世紀初頭にシュミーズ・ドレスなどに表徴される薄いモスリン地で作られたドレスが流行すると、これらを少女達が着用した際に局部を隠す目的でドロワーズが採用され、後に成人女性用のアンダーウェアとしても加えられたが、当初は脚の存在含め、身体の周りの空気が循環しないとの理由から、下品かつ健康に悪いとされた。しかし1830年頃までにドロワーズは女性用下着として一般化し、クリノリンの流行時には欠かせないものとなった。「ズロース」という別名もあるが、これは20世紀中期にドロワーズが日本へ導入された際、ドロワーズが訛ってこの様に呼ばれた事が由来であり、日本独自の名称である。19世紀の少女服などでスカートの下からズボン風の下着を覗かせたものが見られるが、この下着に関しては「パンタレッツ」“pantalettes”と呼ばれ、レースやフリルといった装飾が華やかに施された。(図;d1~d2

ハ行

 

バイアス裁ち“bias cut”=本来布地は経地と緯地を基準に裁断されるが、その経・緯に対して45度の角度で裁断することを指す。これにより身体に馴染みやすく、しなやかな布目になる。

 

パゴダ・スリーブ“pagoda sleeve”=「仏塔」を意味する通り、上部は細いが袖口に向かって裾広がりになった袖を指す。

 

バスク“basque”=身体にぴったりとしたボディスから、急に裾の広がった胴着や上着のこと、もしくはその垂れ裾の部分を指す。燕尾服の尾などにもこの名称が使われる。

 

バッスル“bustle”=スカートのヒップラインを強調させる為に用いられたアンダーウェアのこと。パッド型のものや枠状のものなど、時代によってバッスルの形状は様々である。バッスル・スタイルのドレスは1670年頃から既に見られ、1780年代でのローブ・ア・ラングレースや1820年代後半のドレスでもバッスルが用いられたが、バッスル・スタイルと言えば主に1870年代~1880年代までの服飾を指す。バッスルと命名されたのは19世紀のことで、それ以前は「偽の尻」と呼ばれた。

フランス語では「トゥールニュール」“tournure”と呼ばれ、「ドレス補正具」といった別名もある。(図:e1

 

パニエ“panier”=18世紀に使用されたアンダーウェア。フランスでは1720年以前にパニエ入りのスカートが登場している。スカートのサイドを膨らませる為に針金や鯨のヒゲを用いて作られたもので、鳥籠(籠はフランス語でパニエ)に似ている事からこの名が付いた。しかし18世紀では「パニエ」という名称は使われておらず、「偽の腰」という別名がある。スカートの膨張に伴い、蝶番で畳めるように作られたものや、左右二つに分かれたものなど、様々な形のパニエが存在した。(図:e2

 

パラティヌ“palatine”=17世紀以降から、毛皮やレース等で作られた細長いストール状のものを指す。(毛皮製のものに関しては現代ではボアとも言われる)プファルツ選帝侯の娘であるエリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618~1680)がフランスで初めて着用した事に由来した。(プファルツを英語では「パラティネート」“Palatinate”と呼ぶ為、おそらくプファルツが訛ったものと思われる。)(図:e3

 

パリュール“parure”=首飾りやイヤリング、指輪といったジュエリーを共通の素材やデザインで揃えたものを指す。日本では「セット・ジュエリー」“set jewelry”と呼ばれる。

 

バンドー“bandeau”=頭や額に巻く鉢巻の様な飾りのこと。

 

ビュルヌー“burnous”=1854年から流行した飾りフード付きのマントのこと。くるぶしより少し丈の短いゆったりしたマントで、元はアラビア人が着たウール製の大きなマントだった。英語では「バーヌース」と発音する。(図:e4

 

ビラーゴ・スリーブ“virago sleeve”=17世紀初頭に流行した袖の一種。ペーンドスリーブの肘のあたりをリボンなどで縛り、パフを二つ作り上げた袖のこと。

 

ファッション・プレート“fashion plate”=主に19世紀に出版された一枚仕立ての服飾図版のこと。美しいイラストを元に手彩色された石版画で、これらは様々なニュースを扱う女性雑誌に挿入され、当時のモードを大衆に伝えていた。モード版画は17世紀に既に見られ、この頃は彩色されていない白黒の実録的なものだったが、1778年に刊行された「ギャルリー・デ・モード」などは銅版手彩色の美しいモード版画を後世に残し、19世紀におけるファッション・プレートの先駆的存在となった。20世紀初期に写真技術が実用化されると、モード情報を伝える役目を写真に譲ったが、19世紀における著名なモード雑誌「ジュルナル・デ・マドモワゼル」や「ラ・モード・イリュストレ」などでのファッションプレートは質の高い美しいものが多く、グラビア写真に引けを取らない。特に1860年刊行の「ラ・モード・イリュストレ」は5万部を超えるほどの人気雑誌だった。

 

フィシュー“fichu”=18世紀に広く使われた胸元を覆うための三角形の肩掛けを指す。特に1780年代ではバストを強調する為に大型のフィシューが持て囃され、襟ぐりの中にたくし込むか、胸の前で交差させ背中で結ぶなどといった着用がなされた。

(図:e5~e6

 

フェロニエール“ferroniere”=鉢巻の様に額につけるアクセサリーのこと。レオナルド・ダ・ビンチの絵画「ラ・ベル・フェロニエール」からこの名称が付けられた。大抵、石などの装飾が額の真ん中にくるようにデザインされる。(図:e7

 

フープ“hoop”=針金や鯨髭、籐などを用いて作られたスカートを膨らます為のアンダーウェアのこと。パニエ、クリノリン、クリノレット、バッスルなどの総称である。

 

フラウンス“flounce”=ラッフルよりも幅の広いひだ縁飾りを指す。幾段ものフラウンスが重なったスカートに関しては「ティアード・スカート」“tiered skirt”と呼ばれる。

 

ブリム“brim”=帽子における「つば」のこと。

 

フリル“frill”=布の片方をひだやギャザーなどで寄せ、もう片方は波のようにひらひらとなった縁飾りのこと。ラッフル、フラウンスよりも幅の狭いものを指す。

 

プリンセス・ライン“princess line”=ウエストに切り替えが無く、縦の切り替え線によってウエストを細くし、裾に向かって広がったシルエットを指す。イギリス国王エドワード7世の妻であるアレクサンドラ妃が皇太子妃時代にこのシルエットのドレスを好んで着たことから命名された。

 

プル・バック“pull-back”=「引き戻す」を意味する言葉。または1880年代のバッスル・ドレスなどにおいて、オーバースカートを後方に引っ張り上げ、大きなドレープを作り出したスタイルを指す。(図:e8

 

ブルーマー“bloomers”=全体的にゆったりとして、裾口にゴムまたはギャザーが入れられたズボンのこと。19世紀中頃にアメリカの女性解放運動家であるアメリア・ジェンクス・ブルーマー夫人がこのズボンを世間に推奨したことに由来して命名された。女性服改良の動きはブルーマー夫人の改良運動以前にも見られ、1845年のアメリカではズボンを履いた二人の女性が既に存在した様に、決してブルーマーは夫人が発明したものでは無く、そして夫人自身もブルーマーを初めて身に付けた人物では無かった。自らが刊行する雑誌「リリー」にブルーマーに関する好意的な記事を載せ、普及に力を注いだものの、この当時ブルーマーを履く女性は誰もおらず、1851年のロンドン訪問も意味を成さなかった。しかし後の1860年代では水着としてブルーマーが採用され、1890年代ではサイクリング用のズボンとして人気を博し、テーラード仕立てのジャケットとブルーマーの組み合わせはアメリカ、フランス、ドイツでのサイクリングを楽しむ女性達に好評だった。しかし90年代においても反対の声は存在し続け、乗合馬車やホテルの喫茶室などではブルーマーを履いた女性を悪趣味だとして、利用拒否をする経営者がしばしばいた。1897年にイギリス、チェルトナムから発足したブルーマーを推奨する会「西洋合理服クラブ」の代表ハーバートン子爵夫人は、これらの不当に怒りを覚え、訴訟まで起こしたが失敗に終わっている。19世紀においてブルーマーが完全に浸透することは無かったが、現在でこそブルーマーの様な身軽な衣服は生活に欠かせないものになっている。(図:e9~e10

 

ブレード“braid”=縁飾りや端の始末に利用する平たいテーブ状の紐のこと。絹や綿、ビーズで作られたものなど様々なものが存在する。

 

ペーンド・スリーブ“paned sleeve”=主に16世紀~17世紀にかけて流行した袖の一種。パフスリーブに幾つものスラッシュが入り、アンダーブラウスが覗いたデザインの袖を指す。エンパイア・スタイルの時代にも流行した。

 

ベッツィー“betsy”=1810年代に流行し、1830年代頃まで使われたひだ襟のこと。16世紀~17世紀に流行したひだ襟「ラフ」に似ており、日中用の衣服などによく見られる。ナポレオン皇帝の弟ジェローム・ボナパルトの妻であり、ベッツィーの愛称で呼ばれたエリザベス・パターソン(1785~1879)が語源だと思われる。(図:e11

 

ペルリーヌ“pelerine”=18世紀以降から女性用の肩掛け、もしくはケープ状の衣服を広く指し、現在でもケープを意味する言葉として存在する。19世紀におけるペルリーヌは薄手のモスリン地や毛皮で作られたもの、大型のものにはしっかりした生地が使われたりなど、素材やデザインは様々であった。(図:e12

 

ポーク・ボンネット“poke bonnet”=前方へブリムが突き出し、クラウンとブリムが一体(一続き)になったボンネットのこと。(図:e13

 

ボックスプリーツ“box pleat”=箱ひだのこと。折り目が裏で突合せになったようなプリーツを指す。

 

ボディス“bodice”=衣服における上半身のこと。

 

ボンネット“bonnet”=時代によってデザインは様々だが、頭の後ろから頭頂部まで覆う様に被り、あごの下をリボン等で結ぶ帽子のこと。

マ行

 

マメルーク・スリーブ“mameluke sleeve”=19世紀では主にエンパイア・スタイルの時代に見られた袖の一種。ふくらんだ袖を細いリボンなどで7~8段に分け、各段にふくらみを持たせた袖を指す。マムリュク袖ともよばれる。(図:f1

 

マントー・ド・クール“manteau de cour”=戴冠式などの公式の場において着用される長い引き裾がついた女性用礼服、もしくは宮廷用トレーンを指す。この引き裾は身分が高いほど長くなる特徴がある。(図:f2

 

ミシン“sewing machine”=布地や革、紙といった素材を縫合する際に用いられる縫製機械。18世紀から発明が成されてきたが、1830年フランス人のバーシレミー・シモニアがミシンの特許を取得した後に様々な発明家によって改良された。ミシン針の先端の穴に上糸を通す仕組みはアメリカ人ウォルター・ハントによって1830年代初めに発明されていたが、多くのお針子が失業するのを恐れた為に特許を取らず、1846年アメリカの発明者イライアス・ハウによって特許が取られ、1855年にはミシンを製品化し大量生産した。1850年アイザック・メリット・シンガーが発明したシンガー社のミシンは特に有名である。(図:f3

 

メゾン“maison”=オートクチュールの規約を守り運営している高級服飾店のこと。春夏と秋冬にコレクションを発表、そしてサンディカ組合が定めた1月と7月に顧客やバイヤーに披露すること等が義務付けられている。

 

メルベイユーズ“Merveilleuse”=フランス革命後のディレクトワール(総裁政府時代(1795~1799))にて、以前のロココ様式とは全くかけ離れた服装の女性達を指す。簡素なハイウエストのドレスが特徴的で、「並外れた、途方もない」という意味があるこの言葉は、まさに異色な彼女達を指す言葉として定着した。この時代の男性はアンクロワイヤブル“Incroyables”と呼ばれ、これらのスタイルは後のコンシュラーに継承された。(図:f4

 

モーニング・ドレス“mourning dress”=喪服のこと。

ラ行

 

ラッフル“ruffle”=幅の広いフリルのこと。

 

ルーロー“rouleaux”=主にエンパイア・スタイルの時代によく見られる装飾のこと。バイアス裁ちにした生地を細い筒状に折り縫い合わせ、中に詰め物を入れた飾りで、当時スカートの裾などに施された。二本のルーローをひねった“twisted rouleaux”と呼ばれるものも存在する。(図:g1

 

ルダンゴト“redingote”=1780年代頃から1820年代まで着用されたテーラード仕立ての丈長、もしくは床丈の女性用コート。エンパイア・スタイルの女性達によく見られる。外衣というよりは一種のドレスとして扱われた。このコートは当時の英国趣味が反映されており、自然の中で狩に興ずる英国人たちに影響されている。英語で乗馬服を意味する“riding coat”がフランス語に訛って、この様な名称になった。「ペリース」“pelisses”という別名もあるほか、フランス語から英語に逆輸入された「レディンゴート」という名称もある。ケープ・カラーがついたものは「ガリック」とも呼ばれる。(図:g2

 

レッグ・オブ・マトン・スリーブ“leg-of-mutton sleeve”=上部が大きく膨らみ、肘から手首に向かって細くなった袖のこと。「レッグ・オブ・マトン」とは「羊の脚」を意味し、それに酷似している事から命名された。16世紀末頃にレッグ・オブ・マトン・スリーブのドレスが、ファージンゲイルの人気に伴い流行したが、19世紀でも同じ袖が流行し、1820年代及び1890年代にも人気を博した。フランス語では「マンシュ・ア・ジゴ」“manche à gigot”と呼ばれ、「ジゴ・スリーブ」(ジゴ袖)の別名もある。

(図:g3

 

レティキュール“reticule”=18世紀末から流行した女性用の小さな手提げ袋のこと。18世紀のドレスではスカートの内側に独立した一対の大きなポケットが付けられ、ローブの脇に開けられたスリットから手を差し込み、物を出し入れしていたが、シュミーズ・ドレスの流行と共にポケットを着装する余地が無くなった為、このレティキュールが重宝された。「リディキュール」や「インディスペンサブル」「バランティーヌ」といった別名もある。(図:g4

 

ローニエット“lorgnette”=柄付き眼鏡のこと。フランス語で「盗み見る」を意味する「ロルニェ」“lorgner”からこの名称が付いた。18世紀末頃から貴婦人のアイテムとして流行し、折り畳める様に出来た長い柄が特徴。柄が短いものは「ローグノン」“lorgnon”と呼ばれる。(図:g5

 

ローブ・ア・ラ・フランセーズ“robe à la francaise”=18世紀に流行した「フランス型ローブ」を意味するドレスのこと。前開きのガウンとスカートとに分かれている。年代によって多少の変化が見られるが、基本的にはフランスの画家アントワーヌ・ヴァトーの名を由来とした「ヴァトー・プリーツ」“Watteau pleat”と呼ばれる二本のボックス・プリーツが、後ろの襟ぐりから裾にかけてまっすぐ続いたものを指す。1710年頃から着用されたが、イギリスの官史サミュエル・ピープスの1669年付けの日記には既にフランス発祥の人気スタイルとして紹介されており、17世紀のフランスそしてイギリスにおいても同じような衣服が存在したと思われる。多くの別名が存在し、レジャンス(摂政時代)のものは「ローブ・ヴォラント」“robe volante”と呼ばれ、その他「コントゥーシュ」“contouche”や「ローブ・バタント」“robe battante”といった名称も存在する。(図:g6

 

ローブ・ア・ラ・ポロネーズ“robe à la polonaise”=1770年代~1780年代頃まで流行したドレスのこと。前開きのガウンとスカートとに分かれている。オーバースカートをたくし上げ、三つの大きなドレープを作り上げたスタイルが特徴。リングが縫い付けられたオーバースカートの生地の裏に、紐を通し引き結ぶことなどによってドレープが作られる。ポロネーズとは「ポーランド風」を意味し、1772年のロシア、プロイセン、オーストリアの三国による第一次ポーランド分割を三つのドレープになぞらえて、この様に呼んだ。同じ様にドレープを特徴とするスタイルとして「ローブ・ルトゥルーセ・ダン・レ・ポッシュ」“robe retroussee dans les poches”と呼ばれる、ポケット用のスリットにローブの裾を通し引っ張りあげる着用法がポロネーズの流行より以前に存在する。これは元来、平民がおそらく裾を汚さないために工夫した事が起源だったとされているが、後に上流社会でも一種の着こなしとして流行した。(図:g7

 

ローブ・ア・ラングレース“robe à l'anglaise”=「イングランド型ローブ」を意味するドレスのこと。前開きのガウンとスカートとに分かれている。背中のプリーツを端縫いで押さえ、もしくは後ろ身頃で縫いつけるかして、背中のラインをピッタリと身体に沿わせたスタイルが特徴である。時代によって多少の変化が見られるが、フランスにおいて流行したのは1780年代頃からで、当時のアングロマニーに影響されている。1780年代でのローブ・ア・ラングレースはパニエを着用せず、パッド型のバッスル(偽の尻)を用いてスカートを膨らまし、胸元をフィシューによって強調した。(図:g8

参考文献

 

ブランシュ・ペイン著「ファッションの歴史」

ナンシー・ブラッドフィールド著「貴婦人のドレスデザイン」

エリザベス・ユウィング著「こども服の歴史」

京都服飾文化研究財団著「華麗な革命」

深井晃子著「ファッションから名画を読む」

文化出版局「ファッション辞典」